ページの先頭です

クリエーター・ファイル15“「ブルーマン」を見出した演劇プロデューサー”出口最一

ニューヨークは肌にあっている。関西人は多いし、本音で話し合えるし(笑)。

 1 / 2 / 3 

トップページ / CREATOR FILE / 出口最一

自分の直感を信じて、無から有をつくる。“演劇プロデューサー”という仕事。

やがてブルーマンは世界的な成功をおさめる。その成功は、プロデューサーとしての出口さんの地位を高めていくことを意味する。演劇プロデューサーとして、NYで大成功をおさめた出口さん。ところで演劇プロデューサーの仕事とはどのようなものなのだろうか?その仕事の中身について、伺ってみた。

「演劇プロデューサーというのは、まさに無から有をつくる仕事。空想をカタチにしていく、具現化の作業と言えばいいでしょうか。良い企画を見つけ、それを実現させるためのプランを練る。母体になるチームをつくって何度もリサーチやディスカッションを重ねます。プランや台本がまとまれば、次はキャスティング。役者のオーディションをしたり、いろいろな分野のスタッフに声をかけたりして人を集めます。でも稽古の進み具合によっては、途中で演出家を替えるなんていうこともあります。そういうことと並行しながら、資金集めやプロモーション活動もしていきます。『実行力』の求められる仕事だと思いますね」

ひとつの舞台が世に出るまでに、5〜10年はざらにかかるという。聞いていて、目眩がしそうになる。人や資金を集めるために慌ただしく奔走する出口さんは、事業を興したばかりの起業家のようだ。「この企画は絶対にいける!」という信念がなければ、とても最後まで漕ぎきれないだろう。


「たとえば目の前に30冊の台本があったとします。その30冊の中からひとつの企画を選べばいい、というイージーな発想では駄目なんですね。30冊読んだけどいいモノがひとつもないじゃないか、と言える勇気も必要なんですよ。僕はNYに来たばかりの頃、毎日のようにプログラムをチェックして、週3本は舞台を観に行っていました。『とにかくたくさん観ること』で、自分の眼を鍛えてきたんです」

そのプロデューサーとしての確かな眼力が「ブルーマン」の才能を見出し、16年たった今も世界中の人々に感動を与えているのだ。ご存知の方も多いだろうが、日本での公演も大盛況で迎えられている。

「やっぱりこの仕事をしていて一番うれしいのは、人々に感動を与えられることですから。彼らなら絶対成功する、と感じた自分の直感は正しかったんだという手応えを感じています。でもね…」

出口さんは少し照れながら続ける。



「成功のうえに安住していては、新しいものは生まれてこないのです」

やはり出口さんはブルーマンから離れ、次の作品づくりに取りかかる。根っからのプロデューサー気質なのだ。NYで、成功するべくして成功した人、という印象を受ける。

「いや、別にそこまで成功してないですけども(笑)。プロデューサーにとにかく大切なのは、『こだわりをどこまで持ち続けられるか』ということですね。自分の感性や、リズムや、信念というものを、とにかく信じて疑わないことが、無から有をつくり出すエネルギーの素になるんです」

 1 / 2 / 3 

プロフィール

マックエンターテイメント代表

演劇プロデューサー:出口最一(でぐち・まこと)

1959年、奈良県生まれ。学生時代から演劇部に所属し、京都外国語大学卒業後、上京。「劇団四季」にて俳優活動。1987年ニューヨークに渡り、演劇プロデューサーの道へ。1991年「ブルーマングループ」のオフ・ブロードウェイ・ショーを制作し、ドラマデスク賞を受賞。以来17年間、「プルーマングループ」のパフォーマンスは世界中で絶賛を浴びている。2007年12月から日本でも公演。現在、新作ブロードウェイ・ミュージカル・レビュー「トリップ・オブ・ラブ」の総合プロデューサーとしても活躍中。

作品

※クリックすると大きな画像をご覧いただけます。

  • 作品1
  • 作品2
  • 作品3
  • 作品4
  • 作品5
  • 作品6
  • 作品7
  • 作品8
  • 作品9
  • 作品10
  • 作品11
  • 作品12

CREATOR WORKS 写真提供:The Dancebeat L.P.

クリエーターズ・チョイス

NY暮らしの相棒たち。 クリエーターズ・チョイス15「ブリキ・セッシュー・飲み仲間」