役者からプロデューサーへ。関西から東京、そしてニューヨークへ。
一ヵ所にとどまってクリエイティブ活動を展開する人がいる。職人気質にあふれた人に多い。一方で、動きまわりながら、変化しながら作品を生みだしつづける人もいる。プロデューサー気質を持つ人だ。出口さんはもちろん後者。役者からプロデューサーへの転身。関西から東京へ、そしてニューヨークへ、動きつづけることで出会いを重ね、出会いを重ねることで無から作品を生み出していく。
「東京へ行こうと思ったのは、大阪にいても芝居で食べていくことできないから(笑)。『劇団四季』へ入れたことはラッキーでした。講義やレッスンがしっかりしている。人を成長させるシステムみたいなものがあって、毎日が新しいことの連続のようでした。しかし東京に数年もいるといろいろなことが見えてくるものです。日本のエンターテイメントって全部海外からの輸入じゃないかと。何かを作り出すより、何かを探している世界だとわかったんです。それならば本場で学ぶ方が絶対にいいと思ってニューヨーク行きを決めました」
出口さんは、ニューヨークで劇団「サークルレパートリーカンパニー」に所属する。日本の俳優座のような劇団で、いろんなものを作り上げる能力と人材を併せ持つ劇団だ。出口さんはそこで制作補佐、演出助手というポジションを得た。
「いろんな役者、演出家に毎日会えるんです、それはエキサイティングな毎日でした。そこで3年もやると、補佐や助手では物足りなくなって、何かを自分でしたくなるんですね。そんなときにたまたまブルーマンと出会ったのです。初めて観たときは、すごいグループだと度肝を抜かれました。見終わったあと即楽屋へ行って、日本へ行かないかと誘いました。ええ、最初は日本に連れて行こうと思ったんです」
ところがブルーマンはニューヨークで勝負したいと訴えた。それなら自分にプロデューサーをさせてくれないかと積極的に申し入れて、出口さんの友人とともにブルーマンのプロデュースプロジェクトを立ち上げるのだ。1991年のことだ。
「ブルーマンは認められるまでが大変でした。青い顔をした男が青いペンキを吐くんですって説明してもみんなイメージがわかない。それほど斬新だったんですね。しかし本当に新しいものの大半がそうであるように、最初は集客が大変で、ニューヨークの小屋を秋に開けたけど冬に閉めなければならないという状況でした。でも本人たちはまだつづけるって、プロデューサーの気も知らないで(笑)。だから友人と再び資金を調達にかけずりまわって、そうこうしている間にブレイクして、今日までつづいているわけです」
ブルーマンには、日本のアングラ芝居の匂いを感じたという出口さん。中でも天井桟敷の世界。パントマイムや大道芸をしながらドラマを生むところとか、音楽をやってアートに仕上げるところとか、色彩感覚とか無言劇とか、寺山修司的なものを強く感じたという。
「でもそんなアンダーグラウンド的なブルーマンで、ブロードウェイに勝負をかけるのはまさにギャンブルでした。しかしお互い若かったから迷いはなかった。それが良かったのでしょうね。私にはシアターのバックグランドがあり、彼らには大道芸のバックグランドがある。お互いのメリットがうまく重なれば失敗しないだろうという想いは強かったんですけど」
プロフィール
マックエンターテイメント代表
演劇プロデューサー:出口最一(でぐち・まこと)
1959年、奈良県生まれ。学生時代から演劇部に所属し、京都外国語大学卒業後、上京。「劇団四季」にて俳優活動。1987年ニューヨークに渡り、演劇プロデューサーの道へ。1991年「ブルーマングループ」のオフ・ブロードウェイ・ショーを制作し、ドラマデスク賞を受賞。以来17年間、「プルーマングループ」のパフォーマンスは世界中で絶賛を浴びている。2007年12月から日本でも公演。現在、新作ブロードウェイ・ミュージカル・レビュー「トリップ・オブ・ラブ」の総合プロデューサーとしても活躍中。
TRIP OF LOVE 公式サイト
http://www.tripoflove.com/