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クリエイター・ファイル9“「イラストレーター」の仕事を広げた男”佐藤邦雄

イラストレーターの黄金時代を共に創り出した先覚者。

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日本初のイラストレーター集団、スプーンを立ち上げる。

今竹スタジオ時代には華麗なオフィスで、罫線1本すら恐る恐る引いていた状態から一転。雑然とした活気で沸き返るエーシーで、佐藤さんは水を得た魚のように、デザインの仕事に打ち込む。だが、抑えられないのが「絵を描きたい」という思い。デザインの仕事をこなす傍ら、こそこそ隠れて絵を描いた。
「社長から『イラストしたいらしいな。昼間デザインしても、夜があるやん』て言われて。それで、みんなからイラストの仕事もらって、夜やった。そしたらイラストの仕事が増えてきて。1年で『デザインをせんでいい』ということになって、初めて名刺にイラストレーターって刷り込んだ」

『イラストレーション』誌の創刊が1979年だから、それより10年以上も前の話。「イラストレーター」という言葉さえ普及していない時代だ。客先ではイラストレーターとは何かから説明を始めた。やがて仕事は面白いように入り、佐藤さん率いるイラストセクションは急成長。5人のイラストレーターを抱えるまでに大きくなった。だが、イラストの合間にどうしても雑務が入る。その当時は「カンプライター」といって、カンプ用のダミー写真を、イラストレーターが手書きで描いていたのだ。

「僕らイラストレーターやから、イラスト以外やりたくないと言ったら、社長から『独立したら』と言われて。その頃ニューヨークに『プッシュピン・スタジオ』っていう、イラストレーターばっかりの集団があってね。社長と一緒に『僕そんなんやりたいです』って喋ってたら、社長が『やらなあかん』と。あんな社長も珍しいよね。それでマネージャー1人入れて、6人でスプーンをやりはじめた」
イラストレーターという職種自体が珍しい頃に旗揚げした、日本初のイラスト専門スタジオ。とはいえ現実は厳しく、小さな事務机でB全のポスターを描いた。1年目には赤字を出したこともある。だが、そんなユニークさが、やがて業界の注目を集めるように。東京からも大手代理店が、わざわざ打ち合わせにやってきた。そして現在、スプーンに登録するイラストレーターは約1,000名を超え、大手クライアントからの依頼は引きも切らない。「日本のプッシュピン・スタジオ」は、見事に実現したのである。

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プロフィール

(有)クニオ イラストレーター

佐藤邦雄(さとう・くにお)

1940年、大阪生まれ。高松、徳島で育つ。高校卒業後、大阪で映画の看板描きに弟子入り。63年、大阪ナンバデザイナー学院に入学。64年、今竹造形美術研究室に勤務。翌年(株)エーシー入社。1年間デザイン部に勤務ののちイラスト部へ移る。76年、イラストレーター集団(株)スプーン設立。動物を擬人化したイラストで知られ、「YOUNG JUMP」や「2年の科学」表紙など代表作多数。NHK「おかあさんといっしょ」ではキャラクターデザイン担当。現在は画業に専念、作品は「Kunio Gallery」(土曜・祝日定休)にて常設展示中。2008年カレンダーを9月25日に発売する。

作品

※クリックすると大きな画像をご覧いただけます。

  • 作品1
  • 作品2
  • 作品3
  • 作品4
  • 作品5
  • 作品6
  • 作品7
  • 作品8
  • 作品9

クリエイターズ・チョイス

大舞台で活躍した佐藤さんを支えたもの。 クリエイターズ・チョイス9「逆境を支えた山本周五郎とネタ帳」