生理的な“光と影”と向き合うことで広がりはじめた、独自の世界観。
銅板の焼けた感じや、錆びた感じは、どういうきっかけで出てきたものなのか、という問いに、「最初はたまたま。それを気に入ってくると、何度も何度も繰り返して。だんだん失敗してきて“あ〜、あかんなぁ”と思う頃に、また新しいものが出てきたりするから、だから続けてる」と野波さん。現在でも、偶然に頼ってる部分もあるが、素材などは、自然の中から拾ってくることも多いのだとか。手に入れた素材は大事に保管し、意図的に放置してみて無理矢理錆びさせてみたり。
「気付いたら“あ!かっこよくなってきた”とか“あかんわ”とか。大概、素材集めにしても、そういうものとの出会いも当たりをつけていくと、そういう時に限って良いものに当たらない。最初の頃は“根っこが欲しい”と思って、車に掘る道具を積んで、一日中夜中まで探し回って、それでも無かったのに、休日にフラッと出かけた先で、いきなり“あれ?”と見付けたり。そういう時に限って、道具を持って無くて、車の工具を使って必死で夕方までずっと掘り起こしたり」
「まさに出会い。人間もやっぱり出会いじゃん。出会いって計算できないでしょ」
“光と影”の存在を改めて見つめることで、新しい自己表現の方向性が見付かった30代半ば。写真集『アビス』発表の後から、新たな考えが生まれてきたと言う。
「その頃までは広告写真の延長で“女の人をキレイに撮る”みたいなのが根底にあって、モデルも“私をキレイに撮って欲しい”という要望があったからそうしてた。でも途中からは、そんなことより、もっと内面の渦巻いてる部分も出てきたほうがいいんじゃないかな、と思い始めた。商業写真を撮ってるんじゃないから。作品を撮るときは一切考えないようにしているし、湧いてくるものにそのまま任せてる。深くは考えないようにしてる。仕事のときは最初からすごく計算してやるでしょ。その反動で、撮る前に、自分の頭の中で、どれだけ離れていけるかっていうことのほうに努力する」。
そして、完成した写真集が『ユリカ』。
「『アビス』の頃は、撮る前にイメージをさっと描いて、モデルに“こんな感じで”っていう風に言っていたけど、イメージを固めて撮ろうとすると、作品が完成する前に俺が飽きてしまって、思い通りにならないことが多かった。だから、『ユリカ』や『カオス』とか撮る頃には自分の作りたいイメージを瞬間に任せて探るようにしてみた。するとモデル自身が、この作品に参加したいという感じで来てくれるようになっていった」
その人、その瞬間、その素材が、野波さんとそのとき出会わなければ存在しなかった。
そんな“かけがえの無さ”こそが、野波さんの作品の凄みではないだろうか。
プロフィール
Studio No・ah:フォトグラファー/アーティスト
野波浩(のなみ・ひろし)
1954年、島根生まれ。大阪写真専門学校卒業後、株式会社新光美術写真部のカメラマンに。1979年に独立し、Studio No・ahを設立。
CG処理などは行わず、すべて手作業により生み出される作品の数々は、濃密かつ幻想的。唯一無二の世界観が漂う。代表作に、1993年 写真集『ABYSS』、1995年 写真集『EUREKA』、1997年『CHAOS』、2004年 写真集『MOUSA』。芸能・音楽業界にも多くのファンをもち、1995年 LUNA SEA写真集『ZOE』、1999年 江角マキコ写真集『E-MODE』を出版。現在、いのうえ歌舞伎(劇団☆新感線)、 宝塚歌劇団等の写真を手掛けるなど、多方面で活躍。日本のみならず、アメリカ、ベルギー等、海外からも高い評価を受けている。
Studio No・ah
http://www.hiroshi-nonami.com
